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Projekt Einklang

トーマス鍼灸院

参考資料

〒240-0112
神奈川県三浦郡葉山町堀内815
Tel/Fax: +81-468-76-3077
Email: tom@einklang.com 

 

ここには、依然私が書いた文書やその他に役に立つと思われる文書を載せます。

主な内容

鍼灸関連                                        Page       翻訳関連                              Page

不治の病 [1] 日本と情報 [2]
鍼灸 − 美容 [1] 翻訳の特色と問題 [1]
職人気質と医療費  [1] 「翻訳者はBookfinderである」 [1]
患者に聞かれました: ピアスは [1] (その他) 日本医師会への手紙 [2]
腰痛、一ツボアドバイス [2] (その他) 癌と鍼灸」学会発表 [2]
SARSとお灸 [2] (その他) 夏-電気不足-嘘 [2]
医療の後進国日本 [down] (その他) 自転車:地球のため − 

          時によって命懸け

[1]
 Relaxation [2] 何ですか? [1]
「性」 [2]  "common place" [3]
Natural [3]  Client obligation! [3]
東洋文化の根源 [3]  PSE「法」についての意見 [3]
医療費の「抑制」 [3] 「葉山」 を 「コン山」 へ [2]
姿勢を正せ [3]    
  鍼灸師 − 万能か [3]  「見学」個人的な意見 down
       

Page: [1]    [2]    [3]    [4]    [5]

不治の病

 
近代、鍼灸が肩こりや腰痛をやわらげるための治療法として認識されているようですが、鍼灸および漢方と言う民間療法は「蘭方医学」が導入される前に唯一の治療法でした。従って、鍼灸治療もほぼ全ての病気に使われました。優れている内科や外科治療、あるいは抗生物質や他の薬がある現在に鍼灸治療に潜在する力が忘れてしまいました。
しかし、残念ながら今も現代医学(西洋医学)は全ての問題を解決することが出来ない。輝かしい科学の進歩にもかかわらずいわゆる「難病」と「不治の病」が以前と同様に存続する。

 これらの病気のためもう既にあらゆる治療法を試されたが、未だ希望を持たせるものは乏しい。この時最後の助けを求めながら鍼灸治療を試してみたい方がときどき居ます。

 果たして、鍼灸治療がこれらの「難病」と「不治の病」を治せることは疑問ですが、試して見る価値は十分ある。
 研究というものは小さな治療院では普通不可能と考えて間違ない。しかし、私個人的に鍼の力はどこまで伸ばせることをどうしても知りたいし、同時に世間にも見せたいです。私の考えでは不治の病を治せることが出来なくても、患者の苦痛を和らげ、症状を改善させることが十分可能でしょう。

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鍼灸 - 美容 

 ご存じでしたか...
美容も鍼灸治療の一つの応用です。
当然のことですが、体が健康でなければ美しくにもなれません。
そこで最近良く耳にする「半健康状態」のこと少々触れたいと思います。
 先ず、頭に浮かんでくることは肌のことでしょう。肌は特に女性にとって綺麗であった方がよろしい。しかし、肌は体のただの皮ではありません。漢方医学においてこの肌は二つのもので出来ている:一つは皮膚です。皮膚は目で見える、最も外側にある部分で肺と大腸の働きを反映します。もう一つはいわゆる「肌」です。この部分は目に見えない、皮膚の表面の下にある、胃と脾臓の働きを反映します。
 もし、肌に問題があれば、ただ外側から何かを塗り付けるだけでは多分十分の効果は期待が出来ません。やはり中から調子を整えて、改善しないといけません。
 類似の問題は例えば乳房の形状です。調節に大金を使っている方もいらっしゃるでしょうが、これもやはり内部から改善しないと長期に満足すべき効果が見られませんでしょう。乳房は東洋医学において上記の肌と同じ胃と脾臓の働きを反映します。その他に、姿勢は大きな影響があります。
上記のいずれの臓器の働きは幾分自分で指圧等の方法によって(可能であればお灸で)調節することが出来きます。勿論、このような調節は本格的な鍼灸治療で尚良いでしょう。
ご相談は無料で承ります。

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職人気質と医療費

(類似の文書は神奈川新聞に掲載された。)

    職人の技を生かして

 年々に高くなる医療費は読売新聞の少し前の記事により過去最高の29兆8000億円に達したそうです。多くの人は「仕方がないでしょう」と思っているらしいが、「医療消費者」として「買い求めるサービス」である、満足すべからず医療の品質と値段に関して個人的な意見を述べさせていただきたいと思います。

 上記の予算が膨大のものに膨れ上がっている事に関して医師、医療業者や保険会社などが余り興味ないかもしれませんが、その額を払わざるを得ない一般国民一人一人は上昇し続けている医療費が気になる筈です。私は、これは運命でもないし、不可逆の「時代の流れ」でもないと思います。この運命を変えられるのは「職人の技」だと信じています。

 大半の医療行為は「診察」と称されております。この中に含まれている「診」と言う文字は、「医者が、患者と話しをして、すみずみまで細かに病状を診る事である。」、又は「見立ての結果を教える」等の意味があります(漢和字典)。何かが詳しくを調べるためそれなりの時間と手間が必要です。しかし、現在医療現場で常識のように行われている「2分診察」果たして上記の意味で患者を診る事になるでしょう。これほど短時間で良質の診察を施す事がよく言えば大変難しいでしょう。従って、このような「2分診察」は必然的品質の悪い品/サービスです。

 例を上げましょう。以前往診の際患者が「腰痛や坐骨神経痛」を訴えました。しかし、診察で即に腹部にある最低拳大の腫瘍に気付きました。患者に現在の「神経痛」の原因は腰ではなく、腹部にあり、悪性の可能性もある腫瘍だと告げ、検査を薦めました。検査結果は後程思った通りの「癌」を判明しました。

 この患者は、私の往診の一ヶ月前に心臓発作(狭心症)で入院し、腰下肢痛で整形外科でも診てもらったそうです。ここは疑問です。少なくとも二人の医者に診て貰ったにも拘らず、素人が触っても分かる程大きい腹部腫瘍がどうして見落とす事が出来たでしょうか。答えは残念ながら簡単です。心臓発作は胸の病気と腰痛は腰の病気、いずれの場合西洋医学の職人がお腹を診る必要がないと思われたらしい。それでもこの患者の入院治療などに高額の医療費が請求されたはずです。

 類似の例は沢山あげられます。目で見れば、或いは触診や聴診すれば分かる病態に於いて、先ず高額の検査が注文されます。視診、触診、聴診などは(少なくとも私治療院)無料(又は極めて低い料金)で出来るのに検査を注文する行為は明らかに「金儲け作戦」に違いありません。現在の保健医療の大部分が検査に使われると考えると上記の行為/態度は膨大のお金の無駄遣いされることを意味します。年々に高くなり、新たのもの(例えば「介護保険」)が追加される高額の保険料を払わざるを得ない国民にとって決して納得すべき事情ではと私は信じています。その費用が患者を真面目に(職人らしく時間を掛けて)診察する事だけで大幅に削減できる事が一目瞭然となるような気がします。患者の話に耳を傾き、旧式の「診察」を行われていれば、現在検査に使われる金額の無視できないほどの部分が不要になるはずです。

 外国の諸調査によって通常の治療に例えば鍼治療を加える事によって、病態が改善するまでの時間が大幅に短縮され、同時に治療費も節約される事が判明しました。保険会社が一人の患者当たりに支払われる保険金が大幅に減りますので、現在問題とされる「財政不足」が改善される可能性が高い事が小学生でも検討できそうです。

 私も現在既に高い健康保険料を払っているのに、最近更に介護保険料が加算された事が気に入りません。そして現状を改革しなければ、数年後恐らく雪崩のように大きくなる医療費をカバーするため次の「特殊保険料」が考案されるに違いありませんので、一般庶民の負担を更に増すでしょう。

 よって、私は鍼灸などの代替医学的、伝統医学的な(医療職人的)アップローチが現代医学の変わりとしてではなく、効率のよいとコストが比較的掛からない国を救う鍵の一つを握っている事を確信しています。

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患者に聞かれました: ピアス

 先日、自然治癒や生活に興味を持っている患者に聞かれました:友人はピアースをして見たですが、そんな事は大丈夫か。

 鍼灸師は常に鍼をもって特定な場所に与える僅かな刺激で体調を変えようとします。その日曜の治療の中に耳鍼もまた特別な治療手技を要するし、使用する鍼も体に使われるものよりも小さいです。すなわち、極めて小さくて細い鍼で身体の働きを変えようとし、病気の症状の改善を計らっていきます。

 そこで最近非常に広く流行っているファッションになったピアースが問題になります。原始民族の間や世界中の文明に一時的にあらゆる身体の部分に飾り、又はお守り固定する習慣が歴史的にあった、あるいは現在まである。そう言う意味ではピアースをすること自体は決して異例ではありません。しかし、鍼灸師の立場から考えてみれば、ピアースをすることが賛成できないでしょう。

なぜなら、耳にツボがたくさんある上に、ピアースをする際その場所やもしかして関与する効能等考量されているとは想像できない。そして、耳鍼とピアースに使われる金属の太さ(場合によって材質も!)を比べてみれば、ピアースが特定な耳のツボに強烈に強い、しかも持続的に刺激する可能性があると分かります。

 最近、案外に若い人に多い肩こり、胃腸障害などはピアースに原因があることが否定できないでしょう。よって、ファッションや歴史はともかく、鍼灸師として「ピアースは」と聞かれることを想定し、自分なりの答えを考えて用意した方が良いではないでしょうか。私個人的に必要ないなら身体に不必要なもの入れたり、付けたりしない方が良いと思います。  

   

(この映像はピアースを販売するサイトからコピーさせて頂きました。)

丸皮鍼,鍼の長さ: 1.5 mm

このような鍼は通常「耳鍼」に使われる。

 

皮内鍼:長さ 9 mm,太さ 0.18 mm 

比較すると、ピアースはとんでもないものです。

 

             (何れ拡大映像)

 

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翻訳の特色と問題

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自己紹介に既に述べたように、日本でもう15年余り翻訳によって生活を立てています。その間特に妙な一点に気が付きました(知り合いの外国の翻訳家)がほとんど類似の意見を持っています。

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翻訳者が自分が得意として分野と言語に関する「専門家」である。よって、専門家が作成している文章はそれなりの品質と意味合いを持っています。しかし、多くのクライアントがどうしてもその文章を自分で直したり、修正したりしたいようです。その結果は、多くの場合大変「日本語的な英語(又はドイツ語)になります。

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このような文章は欧米人には非常に読み辛いです。

現実問題として私が登録されている翻訳会社が100件を上まるですが、その殆どは私が作成しました文書を特に加工しないままでお客さんに渡します。よって、私自身は積極的に「営業」を行わないが、直接取引きを希望するクライアントが居ましたら、喜んでお受けします。

私個人は特に東洋医学に関する本の翻訳に興味を持っています。


最初のうち私もそのようなリクエストに答えながら仕事しましたが、
今は長年の経験に基づきまして翻訳しながら幾分のリーライトを加えます。
それでは文章が日本語と「そっくり」ではなくなりますが、
読む人の立場を考えて大変感謝される筈です。

 Thank you. 

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外人とよそ者

私は紛れもなく「外人」です。

しかし、既に24年間日本に住んでいるのでそのことを時々忘れることもある。正確に言えば「外国人」、つまり他の国から来た者ですが、一般庶民は通常「外人」と言うでしょう。それは要するに「そとのひと」、「よそもの」、場合によって「怪しいもの」を意味する。  

ここに面白いものが出てきた。私は今凡そ13―14年間葉山町に住んでいる。葉山町は本来文字通り緑や自然の多い小さな漁村でした。しかし、最近の「開発」ブームによって建築業者はまるで発狂したように多数の建築プロジェクトを複数のロケーションで進行する。恐ろしい勢いで増え続けているマンションなどが怪物のように町を食べてしまうように見受ける。それは開発ではなく、「破壊発」です。  

同時に、当然のことでしょうが、多数の「よそ者」が町に住み着いてくる。特に新しいマンションのようなものに住み始める人は近所や町内会と関係なく生活するので、折角の温かい小さい町では誰がどこに住み、何をしている事が分からなくなり不安が生じる。(私だけではなく、特に長い間この町に住んでいる方々がそう言う。)

元々毎年ごみの山を残して去ってしまう夏の観光客(よそ者)が嫌う外人として、町が多数のよそ者で溢れることどうしても気持ちよく受け入れることが難しい。自然を破壊し、土地や社会の「癌」のように広がる「開発」を黙って見ていられないため、先日葉山町町長に以下の手紙を出した。

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「翻訳者はBookfinderである」  

            ==> 記事のスキャンもあります、JPGファイル:Page1        Page2

                ZIPファイル(1.4MB)

 

 つい最近まで軍隊では未知の地域での進路を探るために「スカウト」や「path finder」と呼ばれる者を使ったという。(pathfinder n.[count]one who finds a way, esp.through wilderness or unexplored area.  RANDOM HOUSE WEBSTER`S DICTIONARY of American English) 彼らは文字どおり、普通の人間には見えない道を発見できる能力を持っていた。

 

 最近私が参加したある国際翻訳会議において、複数のセッションで話題になった問いがある。それは「つまるところ翻訳者の仕事、職務とは一体何だろうか」というものだ。この問いの答えは一見簡単であり、明白に思われたが、実際には出席した翻訳者や翻訳会社の代理人からは数多くの、極めて多様な答えが提出された。この事をきっかけとして、私は以前から表現したいと感じていたことをこの小さな記事にまとめることにした。つまり、翻訳者は上記のpath finderと類似する役割をもつ“bookfinder”であるべきではないか(もしかするとそちらの役割の方が主かも知れない)、ということだ。以下はその簡単な記述である。

 

 私は既に18年間フリーランスの翻訳者として仕事をしてきているが、その間ほぼ全ての時間を、ある言語で書かれた意味をもう一つの言語に移し変える、という作業に費やしてきた。「翻訳」といわれるものだ。もっとも時として原文の質が悪かったり曖昧だったりする場合には、書き換えたり創作することすらあったが。しかし、基本的な考え方は常にA(の言語)をB(の言語)に変換することである。過去十数年間にこの仕事を通して知り合った仲間の中で、このことに疑問を持ったり異義を唱えるものはほとんどいなかった。これは紛れもなく翻訳者の仕事なのだ。

 しかし、得意分野を持っている翻訳者なら、プロとして専門分野についてかなりの量の読書をこなしているだろうし、他の分野についても視野を広げるために興味を持った本を読むだろう。また、個人的に何か研究していればさらに多くの本を読むに違いない。このことが、翻訳者に独特の立場を与えるのではないか、と私は考ている。翻訳者は単に2つ、又はそれ以上の言語を、専門家として利用し評価する能力を持っているだけでなく、ある特定の題材に関して、これらの言語で書かれている関連書(レファレンス)を読むはずだ。それらの中には評価の高い本もあるだろうが、一般的な評価が存在しない場合がほとんど、といってよいだろう。この場合、翻訳者自身がそれらのレファレンスについて言語的、技術的に評価することになる。

 これは私見だが、現在市販されている翻訳書を見て、その選択が専門的知識に基づいてされている、とは思えないものがかなりある。このような場合、どの本を翻訳出版するかという出版社が下す決定は、かなり疑わしい情報や推薦に基づいて行われたのではないか、とすら思えてしまう。その結果われわれ一般読者にはかなり偏った、そして当然ながら、いかに沢山売るかという利益志向に基づいた出版物が提供されることになる。このことは、われわれが健全な世界(観)にアクセスする機会を大幅に限定することになってしまうのではないだろうか。

 一方、今日インターネットの普及によって、膨大な情報が極めて短時間で更新されていく「情報ハイウェイ」へアクセスすることができるようになった。しかし、この恐ろしいほどの情報量へのアクセスは、書籍が提供できる明確な、実用的な、包括的なそして興味ある情報へ視野を塞いでしまう可能性もある。私としては、読書は楽しみでもあるべきだ、と思っているのだが。つまり、インターネットが情報収集の手段として大変有益であるのを認めた上で、一体誰が高速道路(=インターネット)に面して建てられた家に住みたいと思うだろうか、という疑問がわいてくるのだ。私個人としては小さな裏道が好みである。ここに書籍の出番があるのではないだろうか。本を出版するのはウェブサイトを更新するより、遥かに時間がかかる。それは本の方が必ず、幾分か「遅れている」ということを意味しているのだが、それによって本の持っている価値が損なわれるとは思えない。

 私は日本在住のドイツ人だ。日本では町の普通の書店で、日本語に翻訳されたドイツ文学・科学などの本が無数に売られている。しかし、ドイツに帰国した折に大規模の書店を見てまわっても、ドイツ語に翻訳された日本の本は片手で数えられるくらいしか見つけられない。数年前、東京国際ブックフェアを訪れて、ドイツの出版社のブースに立ち寄った際、ドイツで日本の本を翻訳出版することに興味を持っているか、と質問してあっさり断わられたことがある。つまりこうだ。「いいえ、何故でしょうか。当社は既に2冊も出版したでしょう?」。これが毎年ドイツ国内で新刊を何千冊も出版する国の妥当な対応とは到底思えないのだが。その結果、世界の国々に経済で大きな影響を及ぼすスーパーパワーである日本は、相変わらず他の国々の人にとって、知的な面ではブラックホールのような未知の領域にとどまっている。これだけ情報ハイウェイがわれわれの生活深く浸透しているにもかかわらず、である。私にはその理由は、ネット上のバーチャルな資料とは違う、本のような手に取れる実体としての情報の少なさにある、と思えるのだ。

 ここに、翻訳者が国際理解のために本当に貢献できる分野があるのではないだろうか。翻訳する価値のある本を選び出す、推薦する役割が。場合によってはある本を推薦する翻訳者は、同時にその翻訳を担うことも考えられる。多くの場合、これは翻訳者にとって有利であるだけでなく、読者にとっても有益なのではないだろうか。

   

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医療の後進国日本    独立ページへ

        - リソースの使用がお粗末 

 多数の方々は上記の発言に対する反応は「まさか」と驚く事に違いない。しかし最先端で極めて高価の技術を利用するだけは「発達」の兆候ではない。こうした技術や科学の進歩はあまりにも輝かしいから、もう少し自然に密着している人間らしい立場を見失う事も不思議ではないが、今こそまで築き上げた文明の力を発揮する所だ。

 

健康と統合医療

 先ず、健康に関してWHO(世界保健機関)の憲章前文では「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”と定義されている。つまり、バランスが取れたら状態を言い、そのバランスが失われた時、全ての側面から取り戻す努力が必要だ。

 このような「包括的」な観点をもつ医療は昔から医療の原点でもある。最近これが「統合医学」又は「統合医療」(integrative medicine)と呼ばれ、世界中の注目を浴びている。しかし日本に於いて相変わらず西洋医学(保健医療)と他の医療体系(例えば東洋医学)の「混合医療」は禁止されている。西洋医学に完全頼り切っている。但し、その体系は論議の余地のないほど極めて高価で高度の技術をようする。その目標を実現に当たって要求されるリソースを考えれば国民のためになるとは思えない。WHOはこの問題を既に1983に出版された ”Traditional Medicine and Health Care Coverage” (日本語版:1995「世界伝統医学大全」) 取り上げた。世界各地の人々の保健を充実したいならば、その地域や文化に従来から利用されている手段を検証し、十分の利用価値を裏付けるものなら最先端の技術と統合しなければならない。後にこう言った概念を踏まえて”HFA2000” (Health For All by the year 2000、全世界に於いて)計画が発表された。2004年現在でも実現まで至っていないし、高価の西洋医学のみでは不可能だと判断せざるを得ない。

 

リソース ― 人材、予算、知的財産

 数多くの大病院にそれこそ多数の医師が勤めている。予約があるのに長時間に待たされた挙句の果てに実際の診察/治療の時間は僅かである事実は医師の数が足りない発展途上国と大差がないように見受ける。

 ある程度(かなり)裕福の家庭出身でないと現時点日本に医学を勉強する事が難しいのは、最適の人材を育成するも困難である事を別問題にしても、次のヘッドライン(その横に「ある小児科医師の死」もあった)は貴重な人材を粗末する事示唆する。(その事は無論他の人材に関しても適応する。)過労死になるまで働かせるほど医師の数が足りないはずはないでしょう。無論「医者の不養生」と言う言葉を知らない人はいないでしょう。自分、又は自分の部下、の健康管理がそれほど出来ないものは説得力のある健康指導に務められない。

 「診察」の概念も流れ作業と勘違いされているかもしれない。辞書によれば「【診】: {動}みる。みおとしのないようにすみずみまでみて、その事がらについて判断を下す。よくみる。」がある。だが何かを「よく」みたいならば、それなりの時間をかけることが必要です。現在実際の状況は異なっても、且つで日本の医療に強い影響を及ぼしたドイツでは「外来診療」を Sprechstundeと言う。直訳では「話す時間」です。「財源不足」に悩まされている日本に於いても即検査やハイテックの駆使に走る事を一旦後回しにして、再びこの「良く診る、ゆっくり話す時間」の原点に戻るとよい。時間を掛けて良く診る事は殆どの伝統医療の一つの特徴でもある。

 又、上記に「小児科」と言う例を上げた西洋医学領域は多数の「専門分野」に分けられ、そして更に細分化する傾向がまだまだ続く。「専門家」がいることは当然に頼もしいと必要ですが、専門の事しかしないなら視野が大変狭くなり、冒頭に記載したWHOによる健康の定義に基づく保健診療は難しくなる。ある患者の実話によると「新生児の孫が風邪ひいたらしいから開業小児科に連れたが、そこで新生児を診察できないから、大病院に行くように言われた。」

 

経験と「勘」対EBM、技術的なリソース

人材の他に技術的や知能的なリソースにも無駄の部分が多い。左記のヘッドラインにはそれなりの根拠があるけれども、「進歩」と言う概念(信念?)に視野が塞がられ、医療の原点である触診などが軽視あるいは廃止されると、診察の際即に高価の技術を利用する事になる。矢張り患者の実話ですが、肩の痛みを訴えて病院で診察を受けたら、医師が触診もせず、MRI検査を注文した。触診でその病態が凡そ分かってしまうが、点数が全くあるいは僅かにしか請求できないので、患者の自己負担でさえ2−3万円掛かる検査は日常の臨床の基本になると、保険制度の崩壊は目に見える。ハイテックの画像診断機器や高度の技術を要する検査方法を利用することだけでは、その医療体制が本当にに「発達した」とは言えるでしょうか。

 

情報及びコミュニケーション

 歴史的の背景によって日本に於いて医者-患者の独特の関係を築いたが、その時代の終止に向かっている気配はある。医者は基本的「職人」であるにも拘わらず、「医者様」と呼ばれる事決して珍しくない。そうすると医者が患者より「偉い」と言う感覚で診察が行われる。つまり、患者と医者は同レベルの人間ではなく、医者の地位は患者より上から上下関係になる。だがどの上下関係においても「下」の者は「上」の者に対してある程度遠慮する。つまり、外来における医者の質問「如何ですか」に対して患者が「おかげさま」と答えるシナリオは誰でも知っている。だがそれで医者に診察に必要な情報が十分提供されない。

 医者は患者が診察の際同時に他の治療も受けているかどうかと聞かれる患者は多分全国的にも少ない。例え「はい」と答えたら、どんな先生はどう言う治療を施しているかを尋ねることは滅多にないに違いない。左記のヘッドラインにも拘わらず医者同士のコミュニケーションは本当に乏しい。これは先進カ国の高度発達した医療制度の本当の姿なのか。そして治療効果の判定は当然「自分」が施している治療のみによるものだと思われ危険が高い。

 一人の患者に多数種の薬を処方されるのも一般的ですが、それぞれの薬品が認可されるために行われる臨床試験において大体一種の薬しか検討されない。薬物相互作用に関して2種、多くて3種までが調べられる。同時に8種や10種、場合によって異なる医療機関に重なるような薬を処方される方においてこの組み合わせはこの患者に於いて本当に安全かどうか誰も知らない!これこそ先進国が目指しているEBM (evidence based medicine) で示されている目標より遅れているかを証明している。

 また、最近「自然」或いは「漢方」もブームとなっているように見受ける。当然、医療体制はこれを商売のチャンスとして見逃すことは出来ないので、多数の医療施設に「漢方処方」を宣伝し、厚生省はおよそ120種の漢方薬を保険診療のために認可した。製薬会社はそれらの薬の使用目標を手帳にまとめ、病名別や症状別に漢方薬を選択、使用できるようになった。だが漢方薬の使用にあたって漢方医 学独自の概念があって、それを無視すれば本来の漢方薬の良さは発揮できなくなる。6-7年程前に「少柴胡湯」と言う漢方薬が慢性肝炎を目標として使われた際、数人の患者が死亡した事件もあった。それ以来厚生省は漢方薬は危ないと危機を感じ、例の漢方処方の説明書にその危険を赤文字で示されるようになった。しかし、それは漢方薬が危ないではなくて、その使い方を完全に無視している医者が悪い。そこで又上記のヘッドライン(広告)はこの国がいかにも遅れていることを物語っている。東洋医学の1300年の伝統を無視してたった150年で医療現場を制覇し、オールマイティだの現代医学として「日本初」は随分お粗末の気がする。

 

 この写真はある施設についての記事にあった。この施設は特に裕福ではない方の世話をしていたそうです。施設の職員も頑張っているに違いないが、私は外国人としてどうしてもその「安らかに」とお骨の上に置いてある娯楽ビデオと横にあるビジネス電話帳のコントラストに驚愕した。スペースはいくら限られているにしても、これが余りにも情けないです。多分第三世界では死者に対してもう少し品のある態度を取るではないでしょうか。
お骨の上に娯楽ビデオ、その横にビジネス電話帳  

 

結語

 現代医学という表現は略イコール「西洋医学」と使われ,この領域に於いて目覚しい進歩が続き、20年前に夢にも想像できなかった技術で今まで不可能と思われたものを可能にするつつある。しかし、同時に進む「専門化」によって視野が極めて狭い「専門馬鹿」も増えている。受診すると臓器や病症ごとに取り扱われ、その医療体制は機械化して来た。「部品交換」や「修理」される患者には骨の髄まで凍りそうな冷たいものだ。

 一方、世界中のどの文明で、どの時代にもあった包括的な医療体制は局所のみではなくて、人間を見る温かいものだ。緊急事態や診断技術などの分野には現代医学の代わりにはなれないが、これらの伝統的な手段は国の財源不足の解消に貢献できる上に国民の知的財産でもある。健康管理は完全に専門家に任せるべきではない。医療従事者の第一の使命は患者を病気から守って、そして病気に掛かった場合出来る限り早くまた自立させることだ。残念ながらこの「理想」は今の時代に「利益」の信念に負けているようです。

 日本において東洋医学1300年の歴史あるので、本来この分野で世界のリーダーでもあるべきだが、情報発信地として全くと言えるほど機能していない。上記のWHOが発行の本は日本語に翻訳されているが、WHOの正式のホームページに日本語翻が記載されていない。他の言語はある。中国は世界的レベルで東洋医学思想を支配されているようだ。日本独自の業績でさえ海外では当然のように中国の発想だと思われることが多い。そして、伝統医学と保険の問題や科学的な研究等などに関しても日本はアメリカを見て、真似てしまうことが目立っている。

それでも日本は先進国といえるでしょうか。

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自転車: 地球のため − 時によって命懸け

 地球温暖化、排気ガス、騒音、渋滞・・・ それは車社会の遺産だ。本来町の中に移動するには自転車は十分。私は便利で健康にも良い

 以下の願い事出来る限り多く自分が自転車で走る人、その家族の方や自動車を利用する方に伝えたい。

 

自転車編 私は自転車が大好きです。でも自転車にも守るべきルールがある事を知らないか知りたくない人が多いから困ってしまう。日本は左側通行なのに平気右に走る人がいる。そう言う人がいれば左側に走る私は車道の中央へ逃げないといけないが、それで後ろから来る車に衝突される危険に晒される車もどの車線でも結構と言うわけではないので自転車を乗る人もちゃんと左側に走って欲しい。それから、曲がる時、路地から出る時、交差点を渡る時:周りの状況を良く見てから進む。全く何処にも見ない人は案外に多いようだ。突然路地から出てしまう人がいれば走行中の私は瞬時に自転車を止められないから追突する可能性が高い。

 忍者の出る幕は違う。毎日夜走っている時ぶつかりそうな者がいる。それは自転車にライトを付けていない上、灰色や黒ぽい服を着て闇の中に自転車で走ったり、あるいはそう言う服装で歩いたりする者だ。街灯の少ない場所では実際接触する寸全まで殆ど見えない。お願いです:自転車乗る人前と後ろに電気を付けて下さい!それは自分が道路を良く見るためではなく、他人に良く見られるためにある。

 買い物も至難の業になる。小学の低学年生だったらまだ分かるが、成人も頻繁に自分が用ある店の真前に自転車やバイクを置いてしまう人も驚くほど多い。自分だけは便利かもしれないが、他人はその店の出入りが妨げられてしまう事理解して欲しい。

 

自動車編 】 道路において優先権は車輪の数と車体の重量によって決まると勘違いする人がいる。相手はただの自転車ですから車は無理やり交差点で曲がったりして、止まらず路地から出るなどは先ず危険で、そして基本的交通違反でもあるはずだ。相手は自転車でもちゃんと見て欲しい。冒頭にある写真は事故の為肩関節の靭帯が切れ、手術して(私の)肩関節を金属部品で固定示したものだ。直進走行中に追い越された車がまだ追い越しきれないうちに左折した為急ブレーキを掛けて転倒するようになった。結果はご覧の通り。しかもそれは珍しいものではない。過去一年では類似の場面を少なくとも5−6回に直面した。そう言う車の運転手に考えて貰いたい事は:その時相手は自分の奥さんや子供だったらどうでしょう。とにかく良く見て欲しい、前方、後方(ミラー)そして横に関して首を振って直接見ないと斜め後ろに何があるかが分からない(自動車学校で習った筈)。

 車を運転する人のうちに落ち着かない方も多いですが、交差点のところ歩行者や自転車を先に行かせても目的地に着く時間が秒単位にしか変わらないはずだ。それに、特に夏の間、道路が多少混んでいる時町内に走る分に関して自転車より早くなる車は殆どない!反って自転車のほうがスピード違反につかまる可能性がある。

 また時代の流れかもしれないが、携帯電話を掛けながら運転する人が非常に多い。自分は大丈夫だと思っているらしいが、自転車を乗る人の立場から見ればそれはとんでもない勘違いだ。ある時真っ直ぐの一本道を走って、対向車が走行中段々こちらの車線に向かって来た。最終的に歩道に乗り上げて逃げる必要があった。通り過ぎる車の運転手は携帯電話で夢中になって、自分が完全反対車線まで侵入した事気づかなかった。危ない!!!

 自転車は静かで、環境に優しい、健康にも良い。それを安全で楽しく走る環境は町民の皆様で作るしかない。しかも走るのは私のような長年自転車の経験ある成人のみではない。子供や老人も自転車を乗っている(右側に走って赤信号で交差点を渡るお母さんたち:子供は見ているよ!)。道路は狭くて、ちゃんと出来た歩道や自転車専用の「車線」がない事変えられないにしても、運転手のマナーや配慮は改める余地あるでしょう。上記の項目は全て常識で当り前の事のみだが、是非とも安心して自転車で走る町を作る事にご協力ください。

 

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最新記述     

何ですか?

 

 本職は鍼灸師だが、生活費は翻訳で稼いでいる。今回翻訳者の立場から2-3点を指摘したい。

 どの分野でも同じだが、専門家しか分からない用語もあり、専門家と一般ン人は違った解釈する用語もある。最悪の場合異なった文化圏の人が同一用語を全く別の形で理解する。当たり前だ。しかし、これを忘れる人は案外に多い。例えば私は自宅で夕食の時「座りましょう」と言えば当然正座の事を指している。故郷で同じ事を言えば当然椅子に腰を掛ける事を意味する。同一人物が同一言葉を使って異なった意味を表す。当たり前の事であっても、使用する言葉を越える情報がない限りに伝えたい意味を正しく理解する事が非常に難しい。

 東洋医学の分野には科学に比べて曖昧な表現が多いから、「使われる用語の意味合を煩い程明記する」事を進めしたい。東洋医学関連文章を翻訳し、良く依頼主から質問も来る:瘀血〔例〕は英語でどう表現するか。海外では西洋医学的立場からアプローチされる事が多く、本来中国語の概念を解釈する可能性は幾つもある。実はこれに関して世界的権威が盛んに議論するところだ。

 東洋医学に関して中国の思想が世界を支配している。同じ東洋医学が日本に於いて1500年にも及ぶ歴史に於いて独自の発想を生み出したのは決して少なくないが、世界に殆ど知られていない。その理由は上記の表現が曖昧さと文章力の貧弱さにもある。「ほら、あれだよ」のような発言は日本に来る前に意識するような形で聞いた事ない。そして、そう言うことを言わざるを得ないのは心を痛めるが、日本語で書かれている専門書や学術論文の表現力が乏しいものが多い(私は言える立場ではない!)。ならば翻訳される日本語の元本が非常に少ない事も驚かない。以前にも指摘した事あるが、日本は東洋医学に関して世界に向けて大事な情報発信地であるべきだと思うから、情報を伝達する「言葉」をもう一度考え直す必要あるだ。

 

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