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Projekt Einklang トーマス鍼灸院 参考資料 〒240-0112 鍼灸関連 Page 翻訳関連 Page
(こんな難しい話は私の言語能力で上手く表現できないから勘弁して下さい。) 「自然」も又非常に良く使われる言葉だが、私が知っている限りに明白の定義は無いようです。「人間の手がどこにも加えていない状態」を指している事が多い。その反対は通常「人工的」になるだ。しかし、それは観点によるでしょう。
当然「健康ブーム」や「エコ」の時代において自然は「善」の関係代名詞として使われる:豊かな自然、自然の恵み、自然食品、自然治癒力、自然の美、自然主義、自然科学等など。だが何でも善いと言うものはありえない。「人間の手がどこにも加えていない」のは自然であれば、地震、台風、津波、蝗の大群、ゴキブリ、ムカデ、蛇、夏の暑さ、冬の寒さ、ペスト、癌、AIDSなどは全て自然だ。 豊かの自然から自分の都合の良いものだけを選んで、称えてしまうのも可笑しいし、その豊かの自然から遠慮なく恵みを頂き一方が以下にも不自然だ。人間も自然にお返しし – 自然に貢献しなければ不公平であり、肝心の自然のバランスが失う危険ある。 東洋医学の発想はここに出番がある。東洋医学は良く「バランス医学」と呼ばれている。陽があるところに必ず陰もある、善悪の区別ではない。 もし「自然」に惹かれるようでしたらその両面を認めて、全ての自然現象から何かを学べる事が出来るので感謝すべきのような気がする。皆悲鳴をあげている夏の暑さを含めて ・・・・・
The
famous "common place" is NOT common "Translation
is not about words - translation is about what the words are about."
Throughout modern history a lot of things have been termed "common
place" and been referred to uncountable times. Common place means that
something is common, natural and understood by everybody. Yet, by definition
that has to be restricted to specific people, cultures and times. Given this
common place background, it might be worthwhile to think a little about the
translator's job.
S/he has to transfer material, usually
present in written form, from one language to another. Doing so in some
specialized area with heavy use of technical terms can be a rather clear-cut
endeavor, precisely because of the technical terms. Mostly they define in very
succinct ways what there is to be said among specialists who know what they are
talking about. Admittedly, this form of straight communication may at times be
endangered the very nature of the "specialists", who are so good at
what they are doing / researching that their minds sometimes jump ahead of their
writings, leaving the translator (and reader) wondering how to fill in the gaps.
The real problems start, when you are
talking about something considered very simple, namely common place concepts.
So, if I as a German in Germany for example call to my family "let's sit down to dinner",
it would be natural, or common place, to think of people sitting on chairs
around a table. Yet, that may not be true for regions outside Europe and
America. Here in Japan, if I use the same words to ask my family to sit down,
that would mean sitting with legs tugged under on the floor. The same person
uses the same words and they still mean different things. Please observe that
"common place" refers to a place, where people share "common ground".
Elsewhere in the world people may sit down to dinner, but do neither really sit
on the floor or chairs nor use a table. This is the time when the "common sense" and finesse of the translator kicks in. S/he has to decide where the source material originated from, where it is headed and what it is being used for. Often the translator does not have all this information. Also, if a person/translator has a working knowledge of the target language, but does not live or has been living in the region where the particular language is spoken, s/he may not be completely aware of all the aspects of sometimes verbally not expressed common places.
As a
translator I am ALWAYS asked to transform some meaning from one language into
another. That's what I am paid for. And clients therefore EXPECT me to provide
"perfect" translations. However,
this may not always be as simple as it sounds (or some dictionaries try to make
believe). For example,
the other day I was asked to translated some materials for a company intern
presentation. I just got a list of words, no context. And the terms are
"insider jargon" that cannot be understood without additional
explanation and, naturally, do not in any dictionary. A while AFTER I submitted
my translation WITH a number of questions, the client provided some of the
required specific information and a few links to relevant websites. But before I
obtained this information, the agency asked me to go over the text again and
"carefully consider" the selection of tranlation terms. I wrote them
back that I am always carefully considering what I do AND can rely on 20 years
of experience. Yet, that does not mean that I can always decide all by myself
what is the "most appropriate" translation for certain terms. The agency
then continued "We can understand your feeling of confusion regarding the
lack of sufficient background knowledge …" Yet, this is
NOT a matter of feeling. Clients are
trying to communicate = share meaning with other people. My job is it
to help them, but use ONLY THE WRITTEN WORD. That
means, there is no gesturing, body language, voice pitch etc. Maybe a
few graphics or even pictures. Still, the written text carries most of the
message (as opposed to spoken language!). In that case
the words MUST have a well defined meaning readily understood by both parties.
If those meanings are left mostly or entirely to assumption(s) by the various
parties that try to share the information, a meaningful communication is close
to impossible. It might be
of interest to hear what specialists like cyberneticians, computer scientists or
just plain linguists would have to say about this matter. (Scientists like to
DEFINE everything they are going to do/say, in order to eliminate ambiguity.) By
the way, this very foundation of information exchange had already been
established and of pivotal importance in ancient Greek philosophy! If the
source text / material is not clear, people should NOT blame the translator for
doing a poor job, because s/he can work only with the material provided.
(Actually, in my special fields I provide a lot more, even correct errors of the
manuscript during the translation.) So, if the
original material is ambiguous or of poor quality, you cannot really expect
anything but a poor quality translation or even outright nonsense. A
carpenter cannot build a nice house with rotten wood! In the
document mentioned above almost none of the problems encounter could be solved
by using dictionaries, because it was INSIDER LANGUAGE that does not appear in
any dictionary! It needed the topic specific information from the client - first
hand! So, I think it would be only fair that a translator can demand of the
client (through the agency) to provide clear (both in meaning AND visual
appearance) source texts AND whatever subject specific information they have.
This is an obligation the clients have, when they wish to obtain translations
that are well received by the people for which they are intended!
もしかしたら私一人でこの事を思い込んでいるのか。丸きり見当違いかもしれない。 でも多くの人は「腹」が忘れかけてりると思う。 言うまでもないでしょうが、武術は全て「腹」で決まる。力の使い方、バランス、度胸。「腹を決めて」戦闘に挑む。 腹に頼るのは武術だけではない。お茶、書道、舞踊、太鼓、尺八等なども腹から行なわれてないと本物にはならない。当然東洋医学に於いても「腹診」によって病気を診断し、腹の健康は全身の健康の源という考えも太古から伝わって来た知恵だ。古くは松尾芭蕉の『奥の細道』に足三里にお灸を据えて長旅に備えたということが書かれています。その足三里はツボ(経穴)のスーパーマンのような存在であって、胃の経絡に属し、先ず腹を整える効き目がある。 日本語に「腹」に関する言葉は多数あるのは当然ご存知だと思うが、他の言語もどうようだ。例えば、「ガッツ(腸)ポーズ」は小腸や大腸の姿や位置を指しているではなく「力」を表現する。 日本では最高刑が昔如何にも切腹(海外ではこれを間違えて「ハラキリ」として知られている)でした。現代医学において中枢(抹消)神経系及び自律神経系の他に最近「消化管神経系」を別に認めるようになった。 「腹」は多分東洋全体の文化のあらゆる場面に於いて最終的の「決め手」となっているから、私は個人的に東洋文化の根源だと思っている。 先進ヶ国では人間が現代科学技術のお陰で随分と「頭でっかち」になる傾向あるから、精神的不安定になる人も少なくないでしょう。人間の中心(重心)部は頭にあるとその位置は高すぎる。自分の重心=中心は腹にあるべきだ。 今度悩んだり、怒ったり、怯えたりする事があれば、その問題を頭ではなく、腹で解決するような努力して見て下さい。そして、日常生活を通して精神的な安定性を図るため、赤ちゃんの時ちゃんと出来た腹式呼吸をもう一度思い出してください。
医療費の「抑制」 ドイツ人鍼灸師の戯言・・・ 最近大変な話題です。多数の賢者が多くの解決方法やアイディアを提供し、合同で知恵を絞っているようですが、それらの方々はもしかしたら臨床現場知らないじゃないかと言う気がする。 先日類似の内容を経済新聞にも投書したが、どうやら取り上げなかった。 年々に増えつづけて医療費を少々抑制(その増加率のこと)をしたいようでしたら、最終的患者の負担になるあらゆる措置を取る前に一度医療現場の「習慣」や「常識」を考え直す事を進めざるを得ない。○○大学教授に調査依頼するのではなく、一般庶民の「医療消費者」あるいは医療現場で働いているスタッフから「事情聴取」する。医者以外! 私の臨床経験では例えば肩の痛みを訴える患者が整形外科にかかった時、医者は触診や理学検査を試しもしないで先ずMRI撮影を注文した。病態は(無料?)の触診で充分把握できたにも拘わらず、凡そ4万円がかかる検査が行ったが、得られた情報は触診や理学検査を勝る物ではなかった。点数稼ぎだとしか考えられない事態。職人気質はどこに行ってしまったでしょうか。このような「医療」スタイルが全国のレブルで「常識」として行われているので、発生する「無駄」の医療費は天文学的な数字になるでしょう。 または処方の無駄も極めて多い。特にお年寄りでしたら、一方正体充分理解していない薬剤を処分する患者もいる。一方もういらないお薬はいつまでも処方しされるのも日常の臨床事実です。そのような形で無駄使いされる薬剤の全国で一年を通して兆単位に違いない。(当然、その実態を明かす調査は私が知っている限りないようです!医師会、製薬会社、厚生省などの幾つかの団体はその実態を知って欲しくないかもしれない) 更に、確かな情報によるが、医院を経営している医者は税金対策として「医院」を「医療法人」として登録し、自分自身に月給200−300万円を与える!月に300万円程頂かなければならないほどの仕事はしないと確信すると同時にその額も当然最終的医療消費者が払う(医療保健として)。 真面目に一生懸命働いている医師も沢山いると信じたいが、上記の状況も決して「例外」や「珍しい」事ではない。医師会や厚生省がこの状況を維持しようとしていることも残念ながら否定できない。 どこを削ってどのようなサービスを維持するかを少し考えて欲しい。
下記のファクスを「PSE法」の話を聞いて間もない「経済産業省」に送信しました。通常のメールにも送信しました。 「当然」何の返事も頂いていません。 ファクス送信表 トーマス鍼灸院
葉山町堀内815 電話/ファクス:046-876-3077 mail:tom@einklang.com / web site: www.einklang.com 宛先:
経済産業省、大臣官房広報室 用件:
PSE「法」についての意見 拝啓 私は業者ではありません。上記の業種の職人に過ぎません(ドイツ人)。先日患者から来月に「PSE法」が施行される事を聞いて、その内容を調べたところでびっくりしながら立腹しました。多分世界のどの国で「こんな法律はどう思います」と聞いても「そんな馬鹿な」と返事するしかないでしょう。 私は数が少ないが、時々オーディオ機器を中古で購入します。現時点使用している物の半数はそういった中古物です。どこにも問題ありません。そして(当然のこと)経済的の側面でも一々新品を買える余裕の無い者にとって中古品はどれだけありがたいか役所では理解出来ないのか、それとも使用としないのでしょうか。 貴省が施行しようとしている「法律」は常識や庶民の意思に反してるのみならず、環境問題、地球温暖化などにも大いなる悪影響与える事になるのは避けられませんでしょう。完璧に作動する物は廃棄処分せざるを得ないからです。ただ「不要」となった物を粗大ゴミに出す事で済めばよいが、その廃棄処分はお金も掛かります。従って、その余計な費用を負担したくないが、引き取る者もいなくなるので今でさえ道路の傍、海岸や森に投棄されている物の数は増加されるは確かでしょう。 貴省が「安全を確保するため」をこの法律の根拠とするのは良くても言い訳でしょう。何処かに問題があるようでしたら、それはそもそもメーカーが真ともな補修サービスを提供しないことでしょう。いい物を作って長く愛用されるためそれを何時までも修理できる(「古き良きものを大切に使う」)という本来の職人気質の精神はどうなりましたでしょう。この法律は日本の職人に恥をかかせます!
マイスター制度が800年昔から大切にしている国(ドイツ)のオーディオ機器愛好者より。
その理由: 日本人の略全員が少なくとも一時的に肩凝り、頭痛や腰痛などを訴える。 これらの主訴は大部分不良な姿勢による事が一目瞭然。 私はそのことを指摘すると、患者に「責任を押し付ける」ため批判される:「疲れているから仕方ないでしょう。正しい姿勢保つ事出来たら苦労はしないよ。」
人間を疲れさせるのは、宇宙の最強の力である「重力」だ。 地上に居る限り、絶えず(!)体を地球の中心に向かって「引力」を掛けて、立ったや座った姿勢を崩そうとしている。 そして重力は情けを知らない。 「疲れている人は可愛そうだから今日は半分の力で引っ張る。。。」なんて事はない。 意識的または無意識的でも宇宙の最も強い力に逆らおうと思ったら所詮無理だ。 「正しい姿勢」は疲れそうに見えるが、実際消耗するエネルギーは最低限となる。 疲れているこそ姿勢を良くすれば、引力による負担は最低限に抑えられる。 つまり「楽になる」。
正しい姿勢は強い!アフリカの女性の映像を参照。重い物を楽々と運んでいるようです。多分そのまま家まで数キロメートルも歩くでしょう。日本(欧米も同様!)ではそれを出来る人は略居ないでしょうが、高齢で背骨が変形していない限り、その姿勢を絶対に取れない理由もない! 東洋に於いて仏像を見れば、正しい姿勢の見本ばかりだ。決して偶然ではないでしょう。 私は患者にその正しい姿勢と取るように指示すると結局2年前に週刊朝日の「増刊漢方2003」に掲載された記事「商売抜き、信念を貫く異色鍼灸師」のサブタイトル「患者を来させない事は私の仕事だ。」 の如くになる。 http://www.einklang.com/Kanpo2003.htm#page1 http://www.einklang.com/Kanpo2003.htm#page2 姿勢を良くすれば多くの症状は自然と改善し、患者が来なくなる。 それで宜しい。 姿勢を良くするのは本人の努力しだい。 他人に「やってもらう」訳にはいけない。
姿勢をよくすればいい事はいっぱい: がんばりましょう。
現在鍼灸治療の「科学的根拠」は未だ不完全、又は研究そのものが未だ始まっていないから日頃医師や本人たちが「科学者」と名乗っているものに馬鹿にされること決して稀ではない。研究 - 「科学的根拠」の究明は進まない主な理由は医学部と違って製薬会社などの莫大な研究費を提供するスポンサーがいない。
先日、5月14日の読売新聞に東京都医師会が一面を使って「東京宣言」を公表しました。 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx 先日「医療問題」に関して駄文をブログのせた。医師会、厚生省、新聞社などに同じ文章を送信した。
腰も頸も痛くなり、動きが不自由になったり、全身の安定感が欠けている。そして肉体的の安定感のみならず精神的の安定感もいま一足りない。主に体だが、心も「ふらふら」する。場合によって患者が「めまい」=ふら付きを訴える。 案外可能性のある原因として視野に入らないのは「足」です。 文明社会は系統的に「足を馬鹿にしてしまう」と私は思う。要するに、所謂文明のある場所 = 町では殆どの領域が人工的に平らにされた:歩道、車道、広場など、建物中、乗り物の中・・・どこでも。おまけに文明人は朝から晩まで文明の象徴の一つとなるファッションに属する「靴」と言う道具を足につけるため、足底の環境は常に一定して、刺激を殆ど受けない。ファッション性の高い靴をはいって、異常な姿勢(ハイヒールなど)から生まれる異常な刺激を除けば。 ただし、人間の場合二本の脚の足底は体重を受けて上手に地面に分配する仕事と同時地面の特徴や重心の動きなどを迅速かつ正確脳に伝えるために出来ている。そのような刺激を排除するとこの刺激を処理するためにプログラムされている脳が飢えてしまう。看護に携わる人なら誰に聞いても分かるような事実は、今まで元気なお年寄りが何かの理由で暫く寝たきりになると、2-3週間さえあればまるで別人になってしまう - つまり「ぼける」。 よって、自分のあしをもう少し信じて、体を預ける事をしましょう。出来れば裸足で歩き回ると尚よいでしょう。少なくとも自宅の内に! xxxxxxxxxxxxxxxxxx 足の事再認識する −−− 裸足 (2) 先日足と文明社会の話題を挙げた。今回は普段余り聞かない足に関する解剖、神経学などの難しい話題にしておく。
足は26個の骨、33個の関節、107本の腱および19本の筋肉を含んでいる。 体の25%の骨は足に含まれている。そのバランスは全身に影響を与える。 足に125000個の汗腺ある、大半は足底にあり、毎日足から0.25lの汗がでている。 更に、脳の中で体の各場所は均等的に支配されていない。視用頻度の高いや、常用度の高い場所のため脳の神経を大量つかう。脳は体のどの部分でどれぐらいの割合で「力を入れて」いるのは次の図が示す。手足は体全体より多くの神経を使ってしまう。 しかし、文明人は自分の足はいつ何をしているかが全くと言って言いぐらいしらないようだ。 宿題:日曜生活の中で体重を踵より**少し**前のほうに移動して活動してみてください。体重の「重心」は足背の一番高い所に来るべき:土踏まず。カメラの三脚と同様:重心は脚の上ではなく、三脚の間に出来る空間に置かれると安定性が最もいい。 少し考えてみてください。
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Women and wine make
kingdoms fall,But study does no harm at all. (Song dynasty, 960-1279) |